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0から始めるRailsアプリケーションの高速化改善

みんなー、げんきー?ヽ(•ㅂ•)/
最近は土日のスケジュールを事前に計画するようになったよ。

ちなみに今週土曜の計画は途中でお昼寝を挟んだことにより1/3のタスクが遅延状態になった。遅れを取り戻すべくタスクリストを粛々と消化していこう、部屋を掃除したら次はブログ記事の作成だ。

今日の話は初心者向けのパフォーマンスチューニングについて。とりあえずRailsアプリで作られた小中規模なサービス、目安としては月間100万PV行かないようなサービスを想定している。

……高速化しちゃう? しちゃおっか!

まず計測からはじめよ

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これは改善全般に言えることだが、もっとも重要なのは計測だ

計測することで初めて「改善すべきである」ことを発見でき、課題が意識の前景へと浮かび上がる。課題が計測を通じて意識の中に現れると、人間は自然とそれを改善すべく動き出すのである。

例えば「体重計に毎日乗る」「摂取カロリーを計測する」それだけで食生活が改善されていく。改善とは即ち計測することだ。仮にチューニングする気がないにせよパフォーマンスの計測だけでもしてみよう。ね、計測だけ! 計測だけだから!

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ピザと開発: IT業界のおもしろおかしな就活

みんなー、げんきー? 最近プリズンブレイクを見始めたよ。٩( ᐛ )و

ちなみにお勧めする海外ドラマはビッグバーン・セオリーとBONESだ。huluあたりの配信サービスに月額千円くらい払うだけでQoLが10%増だ。

 

さて、今回は自分が新卒として就活した時のお話をしよう。そう、自分にも真人間のような儀礼的行為をしていたことがあるのだ。とはいえ世間一般で言うような就活とは少し変わっているかもしれない。

具体的にはピザ食べながら雑談したり、徹夜でプログラミングしたりしていたいや、就活の話だ。就活でやっていたのがピザとプログラミングだ。

 

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ボドゲーマーは算数も記憶もしたくない、あるいは消耗品としてのボドゲ

ボドゲーマーも人の子である。故に頭を使うのは嫌いである。

石を投げられる前に正確な表現を使おう。つまらないことに頭を使うのが嫌いなのだ。

 

対戦相手の行動から隠された意図を推理する。これは楽しい。
複雑に決められた計算方法に基づき自分の得点を電卓で計算する。これはつまらない。

数手先まで読んで自分の勝ち手段を考える。これは楽しい。
今までに出てきたカードの枚数を全部記憶して勝率を高める。これはつまらない。

 

頭を悩ませたいのはゲームの面白さと密接に関係している部分だけだ。それ以外の全てでボドゲーマーに頭を使わせることを避けなければならない。

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ゲームの"読み"、日常の"読み"

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ゲームの「読み」

ボードゲームの中でも特に好きなジャンルの一つが、読み合いのゲームだ。そして数少ない本当に対面でやる意義があるジャンルでもある。

相手が何を考えているかを推測し不確実な中で選択肢を選ぶ。あやつり人形、ポーカー、ガイスター…、読み合いゲーはボードゲームの女王だ。

 日常の「読み」

日常の中にも「読み」は存在する。観察と推理の間に生まれる子供だ。

そもそも「読み」とはなんだ? ここでは目の前のことを観察し自分の情報で推理し「有力な仮説」を思いつく技術と表現しよう。

 

さて、ゲームと日常の「読み」には大きな違いが二つある。一つはゲームでは推理が重要であり、日常では観察が重要となる点だ。

まずゲームにおいて推理が重要であるのは、ゲームデザイン上の意図からだ。推理自体が非常に楽しいものであり、ゲームデザイナーは優れた推理に報酬を与えるのである。

日常においては観察の方が遥かに重要である。理由はいくつかある、一つは日常はゲームと異なり要素が多すぎて推理が難しいからだ。仮説が多すぎて収束しない、つまり盤面が広すぎる。

 

なによりも、身も蓋もない表現をすると、日常生活での推理はキモいからだ。人は観察されるのはまだしも、推理されるのは原則として不快だ。

観察により「あ、この女の子は機嫌が悪いな」と察するのは良い。その理由を勝手に掘り下げて推理し始めると暗黒面に落ちる。それによって起こる反応を端的に表現すると「キモい」になる。英語で言うとcreepy。

 

もし、仮に日常において「読み」をするなら、踏み込むような推理は避けなければならない。それは頻繁に失敗するし、誰もそれを望んでない。

周囲の人間は対戦相手ではない。問題があるのではと思ったなら聞け、もし答えてもらえないなら踏み込むな。

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今しかない創り出す機会

大学時代には色々なものをゴチャゴチャと創っていた。サークル名義でもアナログゲームや文芸やら毎年出産した。創っただけでなく幸いにも数百人程度に数時間の慰みをもたらし、それらに対して小銭とは言い切れない程度の金額も支払ってもらった。

創り出したものは荒削りで未熟なものがほとんどだ。それでも、自分は作品のいくつかを今でも気に入っている。今からまた同じようなものを創り出せるだろうか。きっと無理だろう。どの作品もその時期のその場所でしか創り出せなかった。特に表現の分野に入る創作はすべてそうだ。

今だ、今やれ

定年退職したら〇〇を創ろうと思う、上手くなったら本格的にやろうと思う。そういった類の言葉がしばしば人から飛び出す。言うまでもなく無意味である。対する返しは常だって「今だ、今やれ」だ。

小説、絵、ゲーム、俳句、音楽、創りたいものが何であったとしても、いま創り出せるものは今後一生作り出す機会がない。創作は感情や閃き、衝動の発露だ。まず伝えたいこと、表現したいこと、創りたいものが先に在る。

伝えたいことも表現したいこともないのに創作すると確実にゴミが生産される。小学生に無理やり書かせた作文よろしく、字数を稼ぐために僅かな内容物をひたすら薄めたものが出来上がる。伝えたい・表現したい衝動は結晶の核だ。創作者は伝えるのが上手い人間ではなく、伝えたいことが存在する人間なのだ。

衝動は貯蓄することが出来ない、揮発性の何かだ。嬉しかったことも、悲しかったことも、血が逆流するような思いも数時間で忘れ始める。サランラップで包んで冷蔵庫にしまっておけはしない。

逆説的だが過去の自分も、そして未来の自分も他人である。感覚を共有しない、心の通じない人間だ。我々は過去の自分自身について正確に思い出せず、未来の自分自身について十分に想像出来ない。夏休みの最後になってから価値のある絵日記を書くことは出来ないのだ。

自分自身の保存

今すぐやれ、という言説は一見するとすべきことを先送りにしてやらないことを責めるように聞こえる。だがそれだけではない。創り出す唯一無二の機会を失い続けているという点が惜しい。

未熟なものでも当時の自分が全力で創ったものは後々になっても愛おしく感じる。創作表現は今の自分を切り取り保存する一つの手段である。作者は変わっていくが作品は不変であり、当時の情熱と感情を表現し続ける。

なぜ中学生は未来の自分に手紙を書け、と言われて「いまどうしているか?」などと問いかけるのだろう。今どうしているのかは未来の自分が知っている。未来の自分から返事が来るとでも思っているのか?

いま自分が何に情熱を注ぎ、何に悩んで胃を痛めているのかを表現しろ。その時の自分なりの答えを書け。そして、未来において読み返し自身の内面世界が諸行無常であることを感じろ。そのために今始めろ。