読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

麻雀から学ぶもの(ゲーム2.0を読んで)

初めに

 アナログゲーマーのみんな、スパ帝の『ゲーム2.0』はもう読んだかな? 自分は先ほど読み終えた。スパ帝国の中で最も読む価値を持つ本かもしれない、裏表紙にはフクロウの写真が載っていてマーケティング的にも大成功だ!

 さて、ゲーム2.0はゲームが未来のキャリアだとする言説だ。人間はゲームを通じて将来必要となるスキルを訓練し、そのスキルを鍛えるゲームを楽しいと感じるという。そして必要としているキャリア・技能からプレイヤーは7つの民族に分類される。(http://spa-game.com/?p=3430)

 ゲーマーにとっては少々都合の良すぎる言説かもしれない。ゲーマーはゲームへ夢中になる正当な理由をいつも探している。今回はこの考え方を引用しつつ、自分が麻雀を好きな理由について話をしよう。麻雀が持つ最大の魅力とはなんだ?

敗北のゲーム

 ドイツゲームに出会う以前から、自分は麻雀やポーカーのファンである。上手く勝ち切ったり読みが当たれば楽しい。しかし、麻雀やポーカーの素晴らしさは『負ける』ことにある。負けている時は面白い訳がない、出来れば負けたくない、当然だ。それでも、理不尽な敗北こそ麻雀の魅力だ。

 麻雀はどんなに強いプレイヤーだろうと負けることもある。半荘だけ打って必ず勝てるのはアカギや傀だけだ。負けた理由はなんだろうか、本当の理由は大抵の局で曖昧のままだ。麻雀の感想戦も将棋や囲碁に比べればほとんどないと言っていい。公開されている情報から考えられる最善の手を仮に打てたとしても不運が続けば簡単に負ける。プレイの巧拙とゲームの結果が短期的にはひどく曖昧だ。成績に明らかな差が出てくるのは半荘を10回も打った頃だ

 「負けてしまったからこのプレイは良くなかった、今度は違うプレイにしよう」というのは多くのゲームで好ましい姿勢だが、麻雀にこれを持ち込むと判断基準がガバガバになり兼ねない。麻雀の上達は反省よりはむしろ『事前の研究』に基づく。卓へ着く前に牌効率を初め様々なことを研究し判断基準を作っておく。どんな状況ならリーチしても良いかを期待値から卓に着く前に計算してしまう訳だ。

麻雀が与えるもの

 さて、ここでゲーム2.0の話に入ろう。スパ帝の7民族分類からすると麻雀はどの民族が好むゲームだろうか? 単純に考えれば意思決定民族である。しかし、意思決定の結果を元に改善を行うのは困難だ。上達は事前の記憶や理論構成にもっぱら基づく。では、研究民族だろうか? あるいはそれらの多民族国家か?

 重要なのは両民族にとっても、『麻雀は取り組むのに良いゲームではない』ことだ。麻雀は最善の判断や最高の研究に対してごく僅かにしか優位を与えない。受け取ったことにさえ気がつかないほど僅かだ。最悪の判断や最低の研究で半日勝ち続けることはあり得る。これは面白くない、少なくとも意思決定の改善や研究の仕方を学ぶのに優れたゲームではない。麻雀もポーカーも、どちらもそうである。

 では麻雀は訓練という性質から見て、取るに足らないゲームか? それは違う、『報酬はすぐに与えられない』『結果から判断の正しさは導きにくい』ことが麻雀の教えだ。現実世界では改善や判断の効果測定はしばしば困難であり、またすぐには結果に現れない。ドラムの演奏を1日だけ練習しても上達は感じにくい、利益の回復が経営判断によるものかまぐれか判定するのは難しい。麻雀が与えるのは「短期的な結果に惑わされない精神」だ

ガバガバな人間の主観

 そもそも人間は自分の行動や判断と環境や運の影響を区別するのが苦手なのだ。成功すれば自分の努力が実ったと誇り、失敗すれば環境や運がなかったと愚痴る。例えば行動経済学者のカーネマンは著作で1つの面白い例を挙げている。ある教官は自分の経験から「褒めるよりも叱る方が成績が良くなる」と主張していた。しかし、それは客観的には間違いだと言う。回帰の誤謬と呼ばれる間違いだ。簡単に言えば成績はコンディションや運によってサイコロのようなランダム性を持っており、教官に叱られるような低い成績(サイコロで言えば1や2)の次にはそれよりも高い成績(3以上)になる確率が高い。逆に褒められるような高い成績(5や6)を取った次には低い成績を取りやすい訳だ。教官の経験からすれば叱れば成績が上がり、褒めれば下がるように見えるのも無理からぬ。

 麻雀はプレイヤーに2つの相反する命令を突きつける。「常に自分のプレイが改善できないか疑え」という命令と「結果に惑わされず自分のプレイを信じろ」という命令だ。この板挟みは勝った負けたを判断材料にすることを許さない。プレイヤーは理不尽に負けても自分のプレイが間違っていないことを信じ、一方で常に自分のプレイが間違っていないか疑い続けることを麻雀から学ぶ。

最後に

 ところで麻雀打ちを広く見渡すに、上達を熱心に望むようなプレイヤーは珍しい存在である。これは『プレイの巧拙と結果が曖昧である』性質の暗黒面だ。意思決定や研究など上達に真剣なプレイヤーにとって麻雀は理不尽に負けるゲームだが、そうでないプレイヤーにとっては理不尽に勝てるゲームだ。上達への努力を面倒くさがる人間も集まるのは必然である。逆に考えるんだ、「誰でも楽しめて良いや」と考えるんだ。カジュアルプレイには適度な楽しみを与え、ハードコアプレイには重要な経験を与える。

 人間は生きている限り偶然と上手く付き合っていく必要がある。ゲーマーらしい姿勢で麻雀を遊ぶ限り、麻雀は偶然との良い付き合い方を教えてくれる。『理不尽な敗北』でプレイヤーをシバき回すことによって。