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騒々しい無音の世界

この日の最後に向かったのがNTTのICC(インターコミュニケーションセンター)である。この展示施設にはコミュニケーションを題材とした展示物が並んでいる。実際のところ、コミュニケーションというよりはインタラクション(相互作用)とでも呼ぶべきモノが中心だ。鑑賞者と制作者との相互作用を持つアート、といった印象を受けた。

例えば鑑賞者の位置によって姿を変える映像や、手元にあるカードを並び替えることで変化する音楽だ。会場に入ってすぐにあるのは初期の蓄音機のような姿をした展示品で、マイクとスピーカーを兼ねる大きなラッパが木の箱についている。ラッパに向かって音声を吹き込んだ後で箱の横にあるハンドルを回すと録音された音声が再生される。この再生がハンドルを回す速度や向きによって複雑に変化するのを楽しむ。

ICCの中で特に面白い展示の一つが、「無響室」だ。周囲一面に音の音響を殺す材質と構造が施されており、完全に外から音は入らず内側で発生する音も壁や床に吸い込まれて行く。二人同時に体験したがすぐ横にいる人間の声さえも細々としか聞こえない。そして本当に驚くべきことが、その「騒がしさ」だ。完全な無音の部屋であるにも関わらず、気分が悪くなるほど騒がしい。

静かなはずのこの部屋で聞こえてくる音の正体は血流音だという。耳の外とも内とも言えない場所からジンジンと鳴り響くこの音は日常ではほとんど聞いたことがない。静かなところで指を耳に入れて音を遮断すればこれに近い血流音が味わえる、奇妙なことに耳を塞いでいるはずが塞いでいない時よりも騒がしい。

芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句は一見すると妙な話で、蝉が煩く鳴いているのが静かに思える訳がない。しかし、無響室での体験はそれに近いことを教えてくれる。本当の静けさとは無音の中にはないのだ。

実験音楽家であるジョン・ケージはこの無響室をハーバード大学で体験し、自分自身が生きている限り音が発生し完全な無音などないと理解した経験からある一つの曲を創り出したという。言うまでもなく無音の楽譜、「四分三十三秒」だ。

 

(夏に都内を歩き回った際の手記から一部を抜粋・編集)