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死んでしまった趣味の墓

コラム/エッセイ

創作が趣味の人間にとって一つの恐怖は、情熱が尽きることである。「自分は創作が趣味だ、もっと○○を創りたい!」という意識だけが残る、生み出すアウトプットは徐々に少なくなり遂には何も創れなくなる。いや、創らなくなる。

日常の雑事に忙殺された訳でもなく、批判に心が折られた訳でもなく、思い描いていた目標を達成した訳でもない。単に熱が引いて行く。趣味をやめるきっかけはない、やめたという認識もない。そのため趣味の墓は作られず、新しい趣味が置かれるべき空間を楽しかった趣味の亡霊が占有し続ける。

趣味の亡霊を供養する最も良い方法は新しい趣味の発見だ。一つの趣味を長く続けることに縛られるべきではない。趣味も、住居も、友達も移り行くものであり成長や人生の段階に応じて変化して当然だ。

誰かはそれを電車やバスで乗り合わせた乗客のようなものだと表現した。旅の道連れであり、出会い同行しては別れて行く。

自意識と感覚が剥離したままにしておくと不幸が増える。かつて情熱を向けていた趣味に、今は情熱を持てないと認めなければ人生を毀損する。創作界隈の人間にとって、情熱の喪失を認めるのは辛い作業である。自分たちのような人間にとって趣味は単なる手慰みやストレス解消の方法ではない。自身を構成する重要なパーツだ。

「もしかすると、かつての情熱がまた戻るかもしれない」。そんな期待感が冷たくなった趣味の亡き骸を抱き続けさせるが、早めに埋葬して新しい出会いを求めよう。

人は理由もなく何かを好きになって、また理由もなく興味を失って行く。無理にそれを否定しても自意識と感覚の軋轢は増す一方だ。趣味の墓を建てよう。もし幸運に恵まれれば、いつか墓からゾンビが芽吹くこともあるだろう。